井上博通
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井上 博通(いのうえ ひろみち、1927年(昭和2年)1月15日[1] - 2006年(平成18年)2月19日[2])は、昭和から平成時代の政治家。愛知県瀬戸市長。
経歴
[編集]愛知県東春日井郡水野村大字中水野(現瀬戸市中水野町)に生まれる[2]。旧制東海中学校卒業[1][2]。
1947年(昭和22年)水野村役場に奉職[2]。1951年(昭和26年)同村が瀬戸市に合併され、瀬戸市役所勤務となる[2]。
以後、衛生課長、職員課長、市長公室長を経て、1982年(昭和57年)より4年間にわたり助役を務め、1987年(昭和62年)5月、市長に初当選した[2]。3期務め、1999年(平成11年)4月、引退した[2]。2006年(平成18年)2月19日死去、79歳。死没日をもって従五位に叙される[3]。
市長就任中は「瀬戸・いきいきビジョン21」や「瀬戸市OA化計画」の策定、行政組織の大改編などに尽力した[2]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 日外アソシエーツ 編『現代政治家人名事典』日外アソシエーツ、1999年。ISBN 481691529X。